とりさんの周辺人隣り


[住 所]信州伊那、標高900m。言わば日本のチベット。     
  空気は清浄なれど希薄なれば、ときに酸素ボンベが必要(心臓の弱い来客者は要持参)。      

[住環境]高冷地なれば避暑別荘地の類。    
  冷房の配慮は必要無いが、こと暖房に関しては特別対策が必要である。   
  南アルプスと中央アルプスに挟まれた伊那谷。
  最深部に天竜川、少し上がって国道153号、JR飯田線などが南北に走る。
  中央アルプスの山麓、南アルプスの眺望絶佳。
  オオタカも生息する大自然の地が、とりさんの環境である。

   追記として 杉、松などの花粉は極めて豊富 これらに弱い非文化人は来訪考慮すべし

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 姓は白鳥(シロトリと読む)、名は巳喜男と申します。
   決して巳を喜ぶわけじゃありません。実はヘビ、大嫌い。巳年に可愛い男の赤ちゃんが生まれて嬉しいって、解釈していただけば最高にありがたい。でも知ってる人は、思わず吹き出すだろうな〜。
太平洋戦争勃発の年、1941年7月。従って理屈っぽく言えば戦前、東京は芝の、とある病院で産声を上げた。
 幼少の頃は虚弱で、医者殿から見放され湿布で寝ずの看病をした事もたびたびとか。
 戦争の激化に伴い種畑(父母の事)の産地、信州伊那の里に母とともに疎開。
 押入れの中で息を殺して、甲府に落ちた爆弾の振動を覚えている。
 内地ではあっても引揚者、生活基盤があるわけでなく、極貧、それは食うや食わずでなく、食わず食べれずの生活を体験。
 それが今は宝となっている。

[人物編]

自己紹介 目次へ

精神的には山族を自覚。音楽や踊りなど、芸術性はゼロ。酒は全くダメな父系の血が濃かったが、最近努力の結果、多少飲めるようになった。田舎の安飲屋で焼酎のお湯割片手に、飲み仲間と歓談するのが最高の楽しみとなっている。

なお、とりさんとの呼称は、周囲が立ててくれての言い方であり、自分に言わせれば鬼熊蛇尾大音声頭が、一番適切ではないかと思っている。
地域では変人視されている老山族なのである。